寺山修司の詩について英語脳で考えてみると…

1983年(日本公開)映画『草迷宮』寺山修司

シンプリー・ハイク:日本の短文詩についての季刊誌
2008年秋、vol 6 no 3

寺山修司短歌集「万華鏡」
訳:鵜沢 梢、アメリア・フィールデン


 

論評:ロバート・D・ウィルソン

  

アメリア・フィールデンと鵜沢梢は名誉あるドナルド・キーン賞の2007年の受賞者で、(比較的)最近の日本の詩人・脚本家の寺山修司が作成した短歌集の英語訳を担当した。「万華鏡」は、読者に向け日本の偉大な現代詩人の一人を紹介する本だ。

  

while an ant
toiled from the dahlia
to the ash tray
I was forming
a beautiful lie 

ダリアの蟻 灰皿にたどり着くまでを 美しき嘘 まとめつついき

(ダリアに棲む蟻は灰皿へ行くよりも、ダリアの中にいたままの方がきっと幸せである。だけど、灰皿に向かうのだ。まるで灰皿のほうにユートピアでもあるかのような、うつくしくて、不完全な嘘に導かれて。)

  

寺山修司は数年ほど短歌を書いていたが、30歳になる前に突然書くのを止め、演劇に専心した。その演劇は色々な意味で彼がそれまでに言葉で描いてきた超現実世界の延長であり、まるで日本のサルバドール・ダリのようだった。

また寺山は、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクのように自らの神話を作り出した。それは真理、反面の真理、非現実的なイマジネーションの統合体であり、伝統や退屈な境界線を越えるための道具であった。規則を破り、規則を称賛する短詩を作りながら、個人的な悲しみや内なる激情を乗り越えようとした。寺山の神話は矛盾と予測不可能性の陰陽であった。

彼の人生には、第二次世界大戦やアメリカによる占領、欧米方式やグローバル経済を取り入れる国家の混乱という陰がつきまとった。警察官だった寺山の父は、日本のために戦いインドネシアで亡くなった。寺山が9歳の時だった。1945年、寺山と母は3万人以上を虐殺したアメリカによる青森の爆撃を辛うじて生き延びた。そして戦後、寺山の母は彼を親戚に預け、九州の米軍基地で働いた。

「万華鏡」の共同翻訳者である鵜沢梢はこう書いている。「母親に捨てられたという複雑な感情、死んでしまった父親への思い、自分にはいなかった兄弟への憧れ、そして現実から解放されたいという切望が、並外れたイマジネーションで表現されています。」鵜沢は、後にこうも述べている。「彼の人生を理解した時、あなたも彼の短歌の多くがイマジネーションの産物だと分かるようになるでしょう。」

  

1974年製作映画『田園に死す』寺山修司

  

偉大なアートや天才とはしばしば、崩壊してしまった人生と内面的混乱の産物である。寺山修司の短歌は想像力に富んでいて、文化的記憶、そして超現実思想、反復的テーマ、個人的神話を通した彼の感情表現が歌の中に織り交ぜられている。寺山は200近い文学作品を書いており、1983年に肝硬変で亡くなるまでに短長編映画を20作品以上生み出している。

  

寺山の全ての詩がイマジネーションによるものではない。中には自分の人生について現実的に述べているものもある。

  

with a battered
summer hat
on my knees
my vagrant life grew
accustomed to buses 

夏帽の へこみやすきを 膝にのせて わが放浪は バスになじみき

(へこんだ夏帽子を膝の上にのせて、私の放浪旅はバス移動にも慣れてきた。)

   

寺山が理解されることは珍しく、分類分けするのも容易ではなかった。彼は、当時の保守的規範から遠く引き離された視点から人生を見ていた前衛的アーティストだった。純粋主義者は彼の短歌を批判し、他人の詩の盗作だと非難した。

彼は実際、日本では「本歌取り」と呼ばれる技術を用いており、これは言わばラップミュージックの作者が有名な曲の一部をサンプリングして、自分の曲に融合させることで多面的な音のコラージュを作る行為に似ている。この場合、寺山は有名な詩から句やイメージを借りて自分の短歌に加え、詩的で陰影のあるコラージュを作り出している。以下の富澤赤黄男の俳句を例に挙げてみよう。 

   

一本の マツチをすれば 湖(うみ)は霧

(一本のマッチを擦ると湖の上には霧が見える)

striking a match / I see fog / upon the lake 

   

寺山は富沢の俳句から「マツチをすれば」を借りてきて、富沢の写生の描写性(写実主義)を超えた複雑で辛辣な短歌を作り上げている。

   

マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや

(マッチを擦るとつかの間、霧深い海が見える。私が命を捧げて守るに値するほどの祖国はあるのだろうか。)

striking a match / momentarily / I see the foggy ocean —/ is there a motherland / I can dedicate myself to? 

  

松尾芭蕉もまた、有名な和歌や道教文学や唐朝の詩から句を借りており、正徹や定家やその他多くも同様に他人の句を取り入れている。

   

1974年製作映画『田園に死す』寺山修司

    

寺山の詩では、何が現実で何がフィクションなのかは誰にも分からない。彼の短歌はすべて、その者が持つ感情や複雑さや社会的記憶の一部もしくは全体に反映される雰囲気を伝えている。人間の頭は複雑で、最もクリエイティブな人々は大抵誤解されるものである。寺山修司も例外ではなかった。

寺山は時折、詩の中で一人称を用いながら第三者の体験を描いている。

   

failing even
to become an actress
I listen to
the sound of seagulls
shot in the winter marsh 

女優にも なれざりしかば 冬沼に かもめ撃たるる 音聞きてをり

(女優にもなれず、私は冬の沼地でかもめが撃たれる音を聞いている。) 

  

銃で撃たれた鳥は、寺山の短歌によく登場する反復的テーマである。もちろん彼は全く戦争を知らないわけではなく、自分の父親と計り知れないほど多くの罪なき人の命を奪った戦争を生き延びた一人だ。彼の神話では鳥の表現が人間、特に彼の同郷者を表す隠喩や暗号としての役割を果たしていたのかもしれない。第二次世界大戦より前は、政府の行動を批判する自由などなかったのだ。

  

fixed
with my cold gunshot
a sparrow on the roof
might be
my mother 

さむきわが 射程のなかに さだまりし 屋根の雀は 母かもしれぬ

(私の冷たい射程圏内に定まったあの屋根の雀は、私の母かもしれない。) 

 

      

having shot
a winter dove that
might be my god,
I go home
with smoking gun 

われの神 なるやもしれぬ 冬の鳩を 撃ちて硝煙 あげつつ帰る

(私は自分の神かもしれない冬の鳩を撃って、硝煙をあげる銃と共に家路につく。) 

   

  

for a small bird
to come back
after it’s shot
there is a grassland
in my head 

撃たれたる 小鳥かへりてくるための 草地ありわが 頭蓋のなかに

(撃たれた小鳥が帰ってくるための草原は、私の頭の中にある。)

   

もしかすると、寺山は自分を取り巻く世界を監獄のように感じていて、自分の魂を自由にしてくれる何かを見つけたがっていたのかもしれない。

   

a horse’s mane
inserted
between pages
of the diary
he kept in prison 

(馬のたてがみを挿んだのは彼が刑務所の中で書く日記の間だった。※英語から直訳的に読み取っています。)

   

呼吸を合わせることは一種の深い瞑想であり、感情の転移であり、精神の融合である。以下の短歌のようなことはそうそうないが、北カリフォルニアのシエラネバダ山脈に住むミウォック・インディアンが狩猟で獲物と接触する際にしばしば行う行為に似ている。ミウォックは獲物を殺す前に、その動物に殺すことの許しを請い、その理由を説明する。寺山には動物愛があったようで、動物を対等視はしても軽視することはなかった。あなたも、この繊細で強烈な短歌を読んで自分なりの判断をしてみてほしい。

  

I was breathing
in unison
with a pregnant cow
waiting for her turn
to be slaughtered 

妊みつつ 屠らるる番 待つ牛に われは呼吸を 合はせてゐたり

(孕(はら)んでいながらも切り殺される番を待つ雌牛に、私は呼吸を合わせていた。)

  

寺山修司は、短歌、区切りのタイトさ、拍の流れ、鮮明で共生的な比喩描写を巧みに組み合わせる。

寺山はタバコの味が好きではなかったが、当時はそういう時代だったので彼もまた喫煙家となった。朝タバコに火をつけ、空気を吸い込み自分自身をなだめながら、ほんの少しの間、自らのプシュケー(魂、精神、心)に集中する。次の短歌では、その体験を効果的に表現した美しい比喩描写が使われている。 

   

when I smoke
a bitter bitter morning cigarette
the wings
of a seagull
skim my heart 

にがきにがき 朝の煙草を 喫うときに こころ掠める 鷗の翼

(にがいにがい朝の煙草を吸う時、かもめの翼が私の心をかすめる。)

   

ハードカバー本「万華鏡」はそのデザインで右に出るものはいない。鮮明なグラフィックや寺山による非現実的コラージュ写真と目を引くカバーで、日本の短編詩集本の新たなスタンダードを築いた。

アメリア・フィールデンと鵜沢梢は、偉大な日本の詩人によるこの重要な新刊書の翻訳と、英語話者への普及を目的としたその先見性を称賛されるべきであろう。

  


元記事 Simply Haiku(英語)
http://simplyhaiku.com/SHv6n3/reviews/Terayama.html