ミシェル・ンデゲオチェロ「一つのサウンドに落ち着くことができないから。」Meshell Ndegeocelloインタビュー

AFROPUNKインタビュー:ミシェル・ンデゲオチェロ

By マイルズ・マーシャル・ルイス

2019年1月10日

  

あなたがネオソウル好きじゃなくても、ネオソウルは確実に大衆に浸透している。とくに2019年は、ジャネール・モネイやSZAやソランジュなど、ネオソウル出身の“オルタナティブR&B”アーティストが大衆の心を掴んだ。

ネオソウルとは、90年代中頃に生まれたジャンルで、D’Angelo(ディアンジェロ)やErykah Badu(エリカ・バドゥ)がラジオで旋風を巻き起こした辺りからその名が付き始めたが、その前から前例となるミュージシャンがいた。

それが、テレンス・トレント・ダービー、ネナ・チェリー、シール、そしてゴーゴーサウンドを鳴らすワシントンDC出身のベーシスト/ボーカリストのミシェル・ンデゲオチェロだ。

   

  

26年前に革新的なデビューアルバム“Plantation Lullabies”をリリースして以来、ンデゲオチェロは常にカルチャーに大きな影響を与え続けてきた。

  

2016年からエイヴァ・デュヴァーネイのテレビ番組「Queen Sugar」の楽曲を担当し、この1月中はマンハッタンで毎年行われるウィンター・ジャズフェスト(第15回)に招聘アーティストとして出演し、たぐい稀で独創的なパフォーマンスを披露している。その中には、“Pop Life”や“Love 2 the 9’s”など、プリンスの伝説的な曲の中から自身がお気に入りの曲を再構築したトリビュート“Thing Called Life”や、ジェームズ・ボールドウィンのノンフィクション本“The Fire Next Time”の文脈にあてはめ、必然的に降りかかる天罰を教会のセットを用いて描いた2016年の自身のオフブロードウェイショー“Can I Get a Witness: The Gospel of James Baldwin”の報復的演目がある。

   

  

滞在先でベースの練習前の束の間の静かな時間に、ンデゲオチェロはAFROPUNKのインタビューに応じてくれた。自身のプロジェクト、キャリア、そして最新レコードであり2018年のカバーアルバム“Ventriloquism”について話を聞いた。

  

  

  

―“Thing Called Life”は、2011年のプリンスへのトリビュート“Gett Off”にルーツがありますね。このような形でプリンスの音楽を称えるに至ったキッカケは?

愛です。プリンスへの愛は、常に私のインスピレーションになってきました。彼は音楽的な意味で私を奮い立たせてくれる力を持った人。

  

   

―“Gett Off”と“Thing Called Life”でセットリストが被ることはあった?

一つだけ被ったのが“All the Critics Love U in New York”だったかな。でもこのショーでは(“Thing Called Life”で共演したシンガーソングライター)J・ホワードを目立たせたかったから、“Let’s Pretend We’re Married”みたいなアップテンポの曲がいいと思いました。(バンドメンバーの)ジャスティン・ヒックスやJやエイブラハム・ラウンズが多重ハーモニーを歌うのが好きなことは知っていたし、プリンスの曲の中でひと際才能を放っている曲の一つが“Tamborine”だと思う。この曲のボーカルハーモニーはホントに素晴らしい。だからそれをやりたかったんです。

私とジャスティン・ヒックスとクリス・ブルース(ベーシスト)が多くのアレンジをしました。でもディーントーニ・パークス(ドラマー)がテクノセルフとして演奏しているのは、完全に彼の自由な思考からくるもの。ブレイクビーツの発展版みたいな感じで。私は特定の経験をキュレートしようとしていました。もう一度やりたいです。次は少し違った演奏もしたいですね。

  

このサウンドは凄く挑戦的でした。ウィンター・ジャズフェストでは私たちの音が馴染まなくて、会場も私たちがやろうとしてたことに対して準備ができてなかった感じがしました。(笑)

でも良いスタートにはなったかなと。おかげでもっと良くする術を知ることができたし。

  

   

―ブレイクビーツのディーントーニ・パークスがプリンスの曲から作った音がすごくカッコよかったですね。

そう、ディーントーニは私のミューズ的存在。アルバム“The World Has Made Me the Man of My Dreams”は、ほぼ彼からの刺激で作ったようなものです。彼は素晴らしいミュージシャンだと思う。いつも彼の幸運を祈ってます。

   

  

―テレビ番組「Queen Sugar」の楽曲制作で一番大変だったことは?

エイヴァ・デュヴァーネイが色んなサウンドにオープンだったら良いなと思う。もっと発展させたいです。

  

私がハリウッドで成功しないであろう理由は多分、一つのサウンドに落ち着くことができないから。そういうタイプじゃないんです。一つに絞ることが私にとって唯一大変なことですね。

  

私はすごくクリエイティブな人間だし、番組に登場するキャラクターたちと似ている部分がある。画面越しに見てるだけで知り合いではないけど、彼らに共感を覚えるし彼らの世界に音で彩りを加えられたらと思います。最高の経験になってますよ。別の番組にも参加したけど正直驚きました。エイヴァや彼女の制作チームは、私をただの音楽担当ではなく(笑)チームの一員だと感じさせてくれる。みんなとても親切で素晴らしい環境です。

  

   

―1999~2003年の3枚のアルバム“Bitter” “Cookie” “Comfort Woman”は創造性が頂点に達してるような作品だけど、何があったの?

  

“Bitter”の何曲かは、最初の2枚のアルバム(1993年Plantation Lullabiesと96年Peace Beyond Passion)をプロデュースしたデイヴィッド・ガムソンと作りました。

  

でもレコード会社は「だめだ、彼はもう使うな」とデイヴィッドをクビにした、最悪です。大好きな友人でした。毎日一緒にいて制作してたし、彼のおかげで素晴らしい経験ができた。私が聴いたのことない音楽を聴かせてくれて視野を広げてくれた。だから彼がクビになり私は深く落ち込みました。

  

でも、“私には小さい頃からずっと愛してくれてる人たちがいる”と忘れずにいられることはありがたいです。クレイグ・ストリートとの関わりは、Black Rock Coalition(NY拠点のアーティスト集団非営利団体でブラックミュージシャン応援団体)の頃に遡ります。ノラ・ジョーンズやカサンドラ・ウィルソンとも制作したことのある人で、お金が底をつきかけていた頃、彼に電話をしたら「何やってるんだ?君の周りにはスゴい演奏家がいっぱいいるのに!」と言われました。そうして出会ったのがクリス・ブルースです。“Bitter”の制作後だった。“Bitter”はウェンディとリサと作ったし、ドイル・ブラムホールとエイブ・ラボリエル・ジュニアにも会いました。ドイルは今、ボール・マッカートニーと演奏してますね。この頃の経験は貴重だった、レコードを一週間で作ったんです!すごかった。

  

  

   

ジョン・メレンキャンプとの曲(“Wild Nights”)あたりも変化がありました。

私は当時、かなり凝った音楽に没頭していて、最初の2枚のレコードは1年かけて作れるほどの制作費がありました。本当にただ座って、細かくアラ探しをして音を切り貼りして、全部自分で演奏しました。

そのあとに“Bitter”やメレンキャンプの曲を作り始めてまた、「とりあえずベースを手に取って弾こう。はい曲できた、はいライブ、一丁上がり。」という流れに戻ったんです。“Bitter”はそんな感じ。でもこの頃は深い傷心の時期でもあって、当時付き合っていた人との新たな素晴らしい愛の概念を見つけたのに、すべて無意味だった。

  

     

―“Cookie”に繋がった“Bitter”からの影響って何?

  

レコード会社がこのレコードを嫌ってました。「これを売ることはできない」って。ひどかったです。レコードを送り返してきて返金を求める人もいた、3人だけだけど。それで翌年、レコード会社とミーティングをしたら、重役たちは「そろそろフォーカスしてくれ」と。「ブラックミュージックを作るべきだ」と言ってビルボードでトップ5のR&Bソングを見せられ、君にプロデューサーを見つけてやると言われました。

  

テディー・ライリーに会うためにノーフォークに行かされたけど、彼は現れなかった。ビートメイカーのOutKastと曲作りするためにアトランタにも行ったけど、彼も現れなかった。

  

  

   

そうやって紆余曲折があった後に“Cookie”を作ったんです。黒人アーティストたちをゲストに呼んだアルバムにするはずが、悪夢になりました。だから“Cookie”は私にとってはジョークみたいなもの。

  

「アンタをおちょくってんだよ、最高にブラックなレコードだろ?」ってね(笑)ジュークボックスじゃないんだから、コインを入れたら何でも演奏するとでも思ってんのかって。このレコードにはそんなエネルギーがあります。

   

  

―“Comfort Woman”は?

  

あのアルバムで気づいたのは、人間関係は自分に向き合うことから気をそらしてくれるものでしかなかったってこと。だからあのアルバムは「今までの色んな経験はすべて常にひとつに収束する」という考えで出来てます。9・11の後に作ったんですけど、あれは私にとって考え方を根本から変えてしまう経験だった。信念が揺らいだ私は、何か他のことを見つけようとしていました

当時はすごく内にこもっていくような精神状態でした。

  

  

―“Ventriloquism”の続編用に、5曲選ぶとしたら?

  

たしか“Ventriloquism”の曲の60%は、テリー・ルイスとジミー・ジャムが書いたものです。みんな偉業について話すのが好きでしょ。テリー・ルイスとジミー・ジャムは、アメリカの偉大なソングライターのお手本的存在だと思います。彼らの曲はみんなに知られていて、愛されていて、彼らの曲を目標に受け継がれてきたような作品ばかり。私はそのレーベルの過去の出版情報すべてに目を通して衝撃を受けました。そこに載っていたほとんどの曲は二人が書いたものだったから。

  

ポインター・シスターズの“Automatic”はずっと聴いてます。“Ventriloquism”の続編をやるならこの曲は絶対カバーしますね。カシーフが大好きだから何らかの形で彼に敬意を表したい。ベイビーフェイスも大好きです。“Waiting to Exhale”のサウンドトラックは最高、あれを掘り下げてみても良さそう。

そればっかりになったら嫌だけど、たまに音楽を通して意図的に誰かに目を向けるのはすごく好きです。

   

今、歌詞で好きなのはジョージ・クリントン。彼はファンクスターとして見られていて、彼のプロパガンダに誰も耳を傾けていない(笑)だからそこも掘り下げてみたい。“I Just Got Back”は素晴らしい曲です。

「家に帰ってきて、君の子供たちを育てる手伝いができてうれしいよ」なんて、なかなか珍しい歌詞ですよね。

  

おわり

元記事 AFROPUNK(英語)
https://afropunk.com/2019/01/afropunk-interview-meshell-ndegeocello/