ミシェル・ンデゲオチェロの正体を暴く|影響を受けた人物|芸術性と商業主義 (2/2)

2018年4月6日、チャールズ・ウェアリング

   

ミシェルが最初に音楽シーンに登場したのは1993年、25歳のときだ。サイアーレコード配給によるマドンナのレーベル、マヴェリックと契約した。(プリンスも自身のレーベル、ペイズリー・パークにミシェルを契約したかったようだ。)

  

ミシェルはR&Bアーティストとして売り出され、2枚のアルバムをリリース。ヒットシングル“If That’s Your Boyfriend (He Wasn’t Last Night)”を含めた“Plantation Lullabies”(93年)と“Peace Beyond Passion”(96年)はどちらも商業的に好成績をあげた。当時、メジャーレーベルであるマヴェリックがミシェルの創造性を抑圧するようなことはなかったと言う。

   

「レーベルが私を信頼してくれたことにすごく感謝してます。やりたい事をやらせてもらったし、とても安心できる場所だった。一緒に働いていたフレディ・デマンは優秀な人たちをマネジメントしていました。彼はものすごく親切だったし、最初の2枚のレコードは自分が作りたかったものに仕上がったと思う。」

  

  

しかし3枚目のアルバム“Bitter”をリリースすると状況は変わった。このアルバムでミシェルはR&Bを完全に捨て去り、自身の音のDNAに潜むレナード・コーエンを漂わせた精巧なシンガー/ソングライターへと変身を遂げた。“Bitter”はそれ以前の2枚のアルバムより自らの音楽的感性を真に映し出した作品になったと感じているミシェルだが、レーベルは反対していた。

  

「レーベルはこのアルバムを嫌ってました、“販売できない”と。それ以前の2枚と違いすぎたからだと思います。」“Bitter”を生んだインスピレーションについて、「ただただ演奏して曲を書いて(プロデューサーの)クレイグ・ストリートと制作したアルバムです。彼は私が20歳のときからの知り合いだった。ひたすら弾くことで自分自身になれたし、誰かが考える“ミシェル・ンデゲオチェロ”に合わせようとしなくてもよかった。」

  

  

  

皮肉にも“Bitter”は、それ以前の2枚のアルバムをプロデュースしたデヴィッド・ガムソン(スクリッティ・ポリッティ)がレコード会社に解雇されたことが原因で生まれた。ガムソンの解雇後、ミシェルのサウンドを型に入れることのできる新しいプロデューサー探しが始まったが、A&R*の重役の視点はミシェルとは全く違った。

*A&Rとは、アーティストの発掘・契約・育成とそのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作を担当する職務のこと。

 

  

「話し合いの中で、ある男性が“君にプロデューサーを見つけなくちゃな…ヒットを書ける人が必要だ”と言って、ビルボードチャートに目を通しました。会社側は私と本質的に合う人ではなく、良い数字が出せる人を探していたんです。」

  

  

この経験からミシェルは大事なことを学び、R&B界が注目の最新プロデューサーではなく、クレイグ・ストリートと組んで“Bitter”を制作することにした。

  

「3枚目のアルバムでは、レーベル側は私のした選択を嫌がっていた」と笑うミシェル。

   

でもそこから面白いレコードが生まれた。少なくとも、私は私に対して愛のあるクレイグ・ストリートという人を選んだんです。彼は私の音楽に注目してくれた最初の人でもある。だから自分が信頼できると分かる、新しい考えを与えてくれるクレイグの元に戻りました。それにこのアルバムは、ジョン・メレンキャンプとの“Wild Night”の直後だったから、バンド形式でやる感覚を取り戻せていたしその影響もありました。」

   

“Bitter”は本人的には大成功であったが商業的には大失敗に終わったためミシェルは白紙に戻り、R&B・ヒップホップ系のアルバム“Cookie: The Anthropological Mix Tape”を出した。とは言え、このアルバムはそれまでの彼女のどの作品よりも暗く挑発的に思える作品だった。このアルバムによりミシェルはUSチャートに返り咲いたが、ミシェル自身はアフリカ系アメリカ人に対する白人系アメリカ人の人種的固定概念への皮肉のつもりだったと言う。

  

「あのアルバムは冗談のつもりだったのに、伝わらなかったみたい(笑)。マヴェリック(レーベル)に黒人っぽいレコードを作れと言われたから、彼らの思う黒人っぽさを再現したまで。」

  

その後、マヴェリックでもう一枚のアルバム(2003年“Comfort Woman”)を制作してからは様々なレーベルにむけ録音を行い、2011年にフランスのインディーレーベルNaiveにたどり着いた。“Ventriloquism(腹話術)”はNaiveのために制作されたミシェルの4番目の外部制作で、2014年の“Comet, Come To Me”(上の写真)に続くアルバムだ。パリ拠点のNaiveとの“関係”について、自分のことを好きでいてくれる人がいて恵まれていると話すミシェル。

  

「思いも寄らずNaiveは私の生活のある面も管理するけど、私が彼らに意見したりはしないので、関係はすごく良いです。そういう環境はあまり得意じゃないけどNaiveにいられて嬉しい。彼らは私が自分で知らずにいられて本当に良かったなと思うような事にも意見を表してくるけど、音楽は私の推進力であって、売り方なんて知りたくない。私にはそういう性質はないんです。」

  

ミシェルに今後の展望を聞くと、現在は作家ジェイムズ・ボールドウィンの作品に関連したマルチメディアプロジェクトに取り組んでいると話してくれた。彼女はすべての芸術に興味を持っており映画ファンであると言う。彼女の音楽に映画のような性質が感じられるのもそのためだろう。

  

「多分音楽を聴くより映画を見てることのほうが多いですね。(映画監督の)ケン・ラッセルが大好きで、スタンリー・キューブリックの大ファンでもあるし自主制作映画も好きな作品がたくさんある。ニューヨークのMetrograph(メトログラフ)という映画館にフラッと行って、その時やってる映画を見たりもします。」

  

ミシェルの曲は10作品の映画で起用されているが、映画を鑑賞するだけでなく、いつか自ら映画のフルサウンドトラックを作ってみたいと話す。「オファーをもらって人の心を掴むような映画音楽を作りたいです。」

  

  

ミシェルのもう一つの夢は、ブライアン・イーノ(上)と制作することだ。実は、以前に一度そのチャンスを掴みかけたが逃してしまった。

  

「当時の私は未熟すぎました。もっと彼との仕事のありがたみを理解して、そばに居ればよかった。私のライブを見に来た彼にポール・サイモンとベースを弾いてくれと頼まれたけど、あまりうまく行きませんでした。私とポール・サイモンの馬が合わなかったんです。」

  

それでもミシェルはほんの一瞬の出会いの間に、元Roxy MusicのキーボーディストでU2のプロデューサーであるブライアン・イーノに心を奪われていた。

  

「会ったとき、彼の本質と魂が本当に優しくて、人を惹きつけるものがあって、面白いと思いました。彼の音やアイデアにワクワクさせられます。名演奏家ではないけどアプローチがすごい。アイデアや楽器の使い方の脱構築の仕方にうっとりしますね。私が唯一、実際に会っても期待を裏切られなかった憧れの人。どこかでばったり会って、お茶だけでもいいから話したい。2つ聞きたいことがあるんです。」

  

ミシェルはそれがどんな質問かは話したがらなかったが、この二人がお茶をしている光景を思い浮かべると何とも興味深い。その夢が叶うことを願うことにしよう。もし、あのとき二人の音楽関係が始まっていたら、今頃大きな影響力を持った印象深い作品となっていたことだろう。

  

ひょっとしたらその音楽の強烈さと妥協しない目線が、ミシェル・ンデゲオチェロを怒れるアーティストとして映し出しているのかもしれない。今回会ってみて個人的な印象を言うならば、それは全くの誤解であり完全な先入観であることは明らかだ。ミシェルは実に親しみやすく、よく笑い、謙虚さも心得ている人だった。一度は音楽によって消耗されたものの、年齢(2018年後半に50歳)により心の平安と充足感を得たようにも見える。

  

「私には家族がいるから24時間音楽バカではいられません。」と、音楽以外の趣味について話す。「コラージュをしたり、読書も大好きです。」

年齢を重ねるにつれシンプルな生活を求めるようになったそうだ。

「テクノロジーから自分を引き離すようにしてます。退屈の良さや電気を使わない生活の良さを考えたい。気がつくと、電子じゃなくてアコースティックの音が美しい楽器を弾いたり、別の趣味を探そうとしてます。織物や、絵をもっと描くとか、自分の意識が入り込めることをしたい。ただ人生を楽しんで、物事を理解しようとしてるだけですよ。」

  

私たちも皆、そうではないだろうか。

‘VENTRILOQUISM’ はNAIVE RECORDSにて発売中。(2018)

  

同インタビューPart 1↓