Jojo Mayer (ジョジョ・メイヤー)インタビュー:観察することの重要性(1/3)

(音声インタビューを本ブログ主がかいつまんで訳したものです。一語一句ではありませんのでご了承ください。)


ジョジョ・メイヤー:観察することの重要性(パート1)
2014年3月31日

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今回のポットキャストではジョジョ・メイヤーに話を聞いた。ジョジョ・メイヤーは、自身のバンドNerveのみならず、世界中でセミナーやマスタークラスのワークショップを行なっており、アコースティックとエレクトリックを駆使した強烈な演奏で知られるドラマーである。今回は彼のアーティストとしての野心の始まりを掘り下げる。深くまで入り込んでいくジョジョをお聴き逃しなく。

“フィードバックを求めるには謙虚さがいる。そのフィードバックを理解し、分析し、それに基づいて行動するには知恵がなければならない。”

-スティーブン・コヴィー

ジョジョ・メイヤー略歴(DrummerWorld.comより)

1963年1月18日、スイス・チューリッヒ生まれ。ベースプレイヤー、ワリー・メイヤーを父に持ち、幼少期よりヨーロッパやアジアを旅しながら過ごす。2才で初めてドラムセットを手にし、3才で香港にて最初のパフォーマンスを行う。音楽環境で育ったこともあり、基本的に独学者。

 18歳でモンティ・アレキサンダーのグループに入り、ノース・シー・ジャズ・フェスティバルやモントルー、ニース、アンティーブ、アテネなどのフェスティバルでメジャーなジャズ全般を演奏しながらヨーロッパ中をツアーして回った。これがディジー・ガレスピーやニーナ・シモンといったジャズ界の大物たちのバックバンドとしての活動につながり、世界中に名が知られるようになった。

 インタビューの内容

  • ドラムを始めた頃のこと
  •  アメリカ移住
  •  テクニックと演奏へのアプローチ
  •  ニューヨークの音楽シーンの昔と今
  •  最近の音楽について
  •  練習技術

(ここから音声インタビュー始まり)

-ドラムを始めた頃のことを教えて。

スイスで生まれたけど子供の頃はヨーロッパ中を回っていて、学校に行き始めるまでスイスには戻らなかった。家中に音楽が溢れていたから、俺はただ音楽に反応していただけなんだ。レコードやラジオが掛かっていて、親父はライブを終えて朝4、5時にバンド連中とセッションしていたよ。幼い俺は、ポットやフライパンを持って彼らの周りをついて回るようになった。そしたらある時から、彼らがスネアやパーカッションをくれるようになった。キッチン用品を買い替えるよりは安かっただろうから。(笑)ラジオや、特にレコードに合わせて音を出したりているうちに俺のドラムセットはグレードアップしていった。5歳くらいの時に親父がケニー・クラークのドラムセットを買ったんだけど、それが俺の最初のちゃんとしたドラムセットだった。

-若い頃は誰に何を教わっていた?今のスタイルを見ると、信じられないほどのテクニックや器用さやセンスを持っているけど、それは幼い頃から?経験を経てから?

 俺にはドラムの先生なんていなかった、特に小さい頃は。ただ見せてくれる人たちはいた。四六時中家の中で叩きまくっていたら、彼らがスティックの握り方を教えてくれ、こうした方が良いと直してくれることはあった。でもちゃんとしたレッスンは受けたことがなかった。俺は、まさに何百ものレコードを聴いて、家の中で音楽に合わせて音を出したり、誰かと一緒に音を出して学んでいった。だから基本的には独学だ。観察してマネしてコピーすることで学んだ。これは俺の中の教育システムでシンタックス(体系的な配列)を作り出していて、その大部分は観察が占めている。観察ができなければ習得はできないと俺は思う。すごく大事なことだけど、大抵の場合、これは軽視されている。特に最近は。俺たちは何にも集中することができない時代に生きている。俺は若い頃、自分の興味を育ててくれるものに完全に取り憑かれていた。全てにおいて究極まで入り込んだ。当時はYoutubeやVimeoなんてものは無かったから、ドラマーを見て、そのドラマーを良いと思ったら自分の中の録音装置が完全に覚醒したんだ。だから記憶力はすごく良いよ。曲を一度聞いただけで覚えられることもある。でも読む力は最悪だよ、読む事にはまったことは一度もない。そうやって力を伸ばしていったかな。

 20代半ば頃になってアメリカに来て、専門的な語彙や自分に欠落した部分に興味を持つようになった。分からなくもないな、あの頃は頑張り過ぎていたから。ジム・チェイピンやフレディ・グルーバーが俺に方向を示してくれた。ジムからも正式なレッスンを受けたことはなかった、ただホテルの部屋で朝4時頃に歌を歌って彼の知恵をたくさん聞かされた。フレディからは2回ほどレッスンを受けたけど1回目はしょうもなかった。(笑)2回目の30分くらいはよかった。フレディは解決策は何も見せてくれなかったが、彼が見せてくれた1セットのリドルが俺を自分の道に導いてくれた。それを頭の中で全て解決するのに40年くらいかかったけど。そのリドルを見せることでフレディは彼の哲学の図面みたいなものを俺に見せてくれたんだ。そんなことができる人間は多くない。彼が教えたところで彼のアプローチの図面を理解できるのはほんのわずかな人だけだし、そこに面白みがあった。

-フレディのアプローチとは?

 さっきも言った通り、観察と本質の研究だよ。

-アメリカに来た時に自分が頑張り過ぎていたことに気づいたと言ったね。エネルギーを使い過ぎていたということ? 

14歳になる頃には、俺が習得したレベルのことをできる人間をスイスでは見つけられなくなった。それは概念としてじゃなく技術としてという意味で。俺は情熱とエネルギーと筋肉で乗り越えてきたけど、年を取るにつれて体は変わる。30歳代になればもうパワーで押し切ることはできなくなる。20代半ばでできたことだって、60歳になれば以前のようなプレイもできなくなる。でも年齢に関係なく今までのようにプレイするドラマーもいる。ドラマーだけじゃなくミュージシャン全般に言えることだろう。それは彼らがあるテクニックも持ち合わせていて、力任せのテクニックをつかう必要がないからだ。そういう人たちは60になっても今までより良くなっている。トニーは60になっても自分のやってる事をちゃんとできる。かたや40代半ばで減退していく人もいる。俺はテクニックがどうとか言いたいわけじゃないが、なぜテクニックを身に付けるかと言うと、自分が飛ぶときに翼のことを考えたくないからだ。これは役に立ったよ、テクニックについてはここ10〜15年考えたことはない。でもある時、それを後世へ繋いでいこうと頭の中で整理がついた。特にドラムは他の楽器と比べてテクニックについては明確なものがないから。ドラムについていえば、西洋社会には詳しい手順なんてものはない。まさに洞穴の中のゴリラみたいなものだ、インドのドラム文化に比べたらね。俺たちは完全に野人だ。ギターやトランペットやピアノだったら、もっと楽に弾くための膨大な数の解決策がおかれた図書館みたいなものが存在するが、ドラムにはそれが無い。それは、西洋社会ではドラムの手順が主に軍隊によって築かれたからだ。「質問はするな、ただ言われた事をやれ」という世界だ。それが今でもほぼそのままドラム教育として残っている。「このエクササイズを1日8時間やって、馬鹿になれ、馬鹿でいろ」ってな具合だ。だがフレディは違った。それを理解していた。でも彼のような人間に学べる事はそうそうない、彼はすごく面倒臭い人間だったから。求めるものや意見がものすごく多くて、怖かった。彼に気に入られなければ何も始まらない。

-超絶テクニックを持っているのに、テクニックに執着していないと言っていたね。昔はテクニックに没頭していた?

いいや、さっきも言った通り俺は頑張り過ぎていると感じてたんだ。疲労困憊だった、その数年前までそんなことは感じなかった。クソ、もっと楽な方法があるだろって思ったよ。テクニックの話をする上での大きな誤解は、たくさんの知識を要するようなシングルストロークやピアニッシモが完璧に演奏できる事じゃないし、良いテクニックがあるのはそこじゃない。良いテクニックとは、自分がその楽器で表現する必要があることを、自分に表現させてくれる全てのものだ。例えば、チャーリー・ワッツはまさに完璧だと思う。俺からすれば変えるところなんて一つも無い。彼の場合は、ある効力を生み出すためにテクニックを使う域に達している。だから俺は交渉の余地がゼロのプレイを作り出したかったんだ。体の衰えを考えればこの演奏でいいだろうって。避けられ無いことだ、もし体の衰退に対抗しようとすればヒドい目にあう。身体的ロスを考慮してやり方を考えること、それはすべての動物がやっていることなのに、なぜ俺たちがやらない?これはテクニックの聖書じゃなく哲学的なエッセーだ。考え方のプロセスを活性化させるためだよ。(18:25)

パート2につづく↓

元記事 Drummer’s resource(英語)
http://www.drummersresource.com/jojo-mayer-interview/